第6回 今年をふりかえって 〜来年の抱負〜

2020年12月31日

実は、小田急線沿線の温泉に通い詰めています。

風呂に入る前、そこのロビーでテレビを見ていました。番組は新大久保駅近くの楽器店でした。3日間の密着取材を放映していました。何人かにインタビューする趣向でしたが、その中で、盲目の方がいらっしゃいました。70代の方でした。インタビューアーが「なぜ音楽の道を」と尋ねると、「(盲の者は卒業後、あんまか針灸のどちらかの道しかない時代でした。そこで好きな音楽の道を目指したいと言ったら周りから猛反対に遭いました。だけど意思を貫き通しました)とのことでした。その後指導者になり、今も指導を続けているとのこと。その相手がここ20年間教えている自閉症の方であるとのことでした。そしてインタビューの最後に「もし私が教えていなかったらその生徒は、、、」と言って口ごもりました。そこで番組は次の方のインタビューに切り替わりました。

盲目の方は何を言いたかったのでしょうか。私は「もし私が教えていなかったらその生徒は、生きがいを持つことができなかった」と解釈しました。誤解を恐れずに言うと、さらに「もし私が教えていなかったらその生徒は誤った人生の道に走ってしまってかもしれない」と言いたくて、口を閉じたのではないかとさえ思えたのです。

ここで私はこの盲目の方の行為を知るにつけ、2つのことを思いました。

1つは、障害の方と障害の方の関わりが機能していると言う点。誤解を恐れずに言えば、」障害の方が障害の方を更生させた」素晴らしい事例だと思いました。この盲目の方のような「社会に貢献する障害者を育成する」ことが来年からの特別支援学校の目指す道だと強く思ったのです。具体的には手に職をつけた人材育成から、人の心を変えることができる人材の育成です。それを盲学校や聾学校、肢体不自由の特別支援学校の知的に問題のない障害者の学校群の教育のゴールに据えると言うことです。

もう1つは、「自閉症者に音楽の技を教示して精神的に更生させた」この事例に倣って、発達障害傾向の子どもに接しうる全国のすべての保育者、幼稚園教諭、小学校教員、中学校教員、高等学校教員が、「発達障害傾向の子ども、特に間違って教育すると犯罪者になりうるADHDの子どもには、その子にあった生きがいのものをプレゼントできる能力」を身につけさせる全国の教育大学の教員養成過程にしていくことが来年からの抱負だと考えたのです。

我が国は、生物学的には高齢結婚(具体的にはDNA変異が蓄積した高齢の精子と高齢による染色体不分離が生じる加熟卵による体外受精)の大国であり、また環境的にはスマートフォンのゲームに没頭する人材育成(人と目を合わせない、コニュニケーションを取るのを嫌がる)、AI依存型Society 5.0による高度職業だけの社会(単純労働職種の消滅)による発達障害者のあぶり出しの道を辿っています。これまでと同様、これからも発達障害者(知的には低くないが社会性や情緒に問題のある人材)の増加が予測されるのです。

したがって、来年からの抱負は、(1)「高齢結婚が子どもに障害をもたらす生物学的観点からの医師による小学校における科学(道徳)の授業」の実現、(2)「スマートフォンゲーム中毒患者」の減少対策、(3)「発達障害者の持っている力を引き出す初等・中等教育ができる教員の養成」とそれに応える「引出された障害者の力を活用できる企業人の育成」の3つです。

ICD-11というWHOの病名における「発達障害」の病名が「神経発達症(Neurodevelopmental Disorderの直訳)」に変わることになりました。これまでは「発達障がい」や「発達障碍」といった小手先の修正が終了して、「神経発達症」に変わることで、「発達障害者」が社会に「害」をもたらすというイメージを完全に拭い去ることができることになるのです。

また発達障害」だと治しようもなく差別の対象でしたが、「神経発達症」であれば発達は標準より遅いがその子に合わせた環境を与えることでその子なりの発達を遂げることが期待でき、治療効果も期待できるというイメージに変わるものと思います。

具体的には、先天的、後天的にエピジェネティックにスイッチが間違った方向に入ってしまっても、良い環境やスイッチを直接いじるゲノム編集医療戦略により、戻せることが期待できるわけです。

来年は、その戦略のアップデートもお届けしていきたいと思います。

そしてこのコラム、そして「健康エピジェネティックネットワーク(健エピネット)」を来年もよろしくお願い申し上げます。

2020.12.31 

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